脳腫瘍(神経膠腫)手術後の高次脳機能障害の日々

31歳11ヶ月で左前頭葉神経膠腫の手術を経験。その後の日常を気まぐれで更新。以下URLは病気関係の本棚です。https://booklog.jp/users/cloverbk/all?category_id=3559096&status=all

術後395日後 再手術前日

昨日まで仕事をして今日が入院初日です。

朝からバタバタ準備をして母に車で送ってもらって2時前に病院へ。

受付で入院申込をして病室に案内されました。

そして何と今回の手術は前回の手術と先生が変わることに。ただ手術には前回の先生も参加されると聞いて安心しました。おそらく後進育成の目的もあるのでしょう(と勝手に解釈)

前回入院した時に連絡先を渡した看護師さんがいるかどうか気になりましたが、今のところ見ていません。看護師さんも忙しそうでそれどころではないようです。

入院してから点滴をするためにこんな感じ↓で手の甲にルートを作られました。術前MRIの時にもここから造影剤を流すそうです。手術中もここから麻酔を入れたりするらしいのでこれから1週間くらいはたぶんこのままですね。

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お風呂入る時は、手の上からビニール袋を被せてもらってテープでぐるぐる巻きにしてもらいます。

担当看護師さんに今日撮ったMRI画像を見せてもらいましたが前回と大きくは変わってなさそうでした。看護師さんに「私より詳しいですね笑」と言われました。

手術時間は明日の14時半前後。

万が一を想定して事前に買っておいたリハビリの本も少し読み進めました。

入院前日だからか個室なので仲の良い友人と電話しました。その友人は来週お子さんが生まれるそうです。元気に生まれて欲しいです。

と書きながらまた別の友人と電話してるうちに、主治医が病室に入ってきました(20時過ぎ)。慌てて電話を切り、一応MRIが前回と変わってなかったかどうか聞きましたが、変わってなかったようです。あとリハビリ本を買いましたと伝えたところ「大丈夫だと思うけど万一の時ね」みたいなお返事でした。その先生は去年入院していた時、毎朝7時半くらいに病室の患者のところを回られてました。今日も手術して患者の命を救ってたんだろうなあ。本当に頭が下がります。

明日に備えてそろそろ寝ます。

と思って布団に入りましたが安定の頭痛がしてなかなか眠れずにいるうちに、久しぶりに東京の友人から電話がかかってきました。

なんとたまたま福岡に出張で来ているらしいです。去年も手術前日に電話をくれて「明日ビビって逃げんなよ笑」と声をかけてくれました。

彼とは大学時代の楽しい思い出がたくさんあり、あの頃元気だった自分を思い出して幸せな気持ちになれます。

彼から電話をもらって明日の手術もきっとうまくいく気がしてきました。

「ピンチはチャンス」彼の名言です。

術後391日後

今朝思いついた。脳腫瘍で死ぬまでの詳細な経過に関する情報を集めようと思ったが、参考になるものがあまりなかった。なので自分がそれを綴ろうと思う。

腫瘍がどのくらいの大きさ・位置になったら麻痺が起こるのか

腫瘍が何センチくらいになったらブログも書けなくなるのか

その時点からどのくらいで呼吸が止まるのか

ブログも書けないということは苦しいのか、痛みは感じるのか

あるいはモルヒネでコントロールできるのか

など。これによると脳腫瘍は痛い死に方ランキング9位らしい。https://gendai.media/articles/-/50215?page=3

誰だって最期は苦しまずに逝きたいと思うだろうから、その不安が自分の体験記で少しでも和らぐならと思う。

まあ自分以外の協力も必要なので、母が元気なうちにできたらですけどね。

 

最近die with zeroという本を読んで自分には思ったほどやりたいことがないと気づいた。もう46都道府県旅行したし、海外も7カ国行けたし、映画やドラマも300作品くらい観たし、恋愛も十分できた。平和な日本で33年間分生きられるって相当幸せだと思う。だから旅行してる時は楽しいけどどうしても行きたいまではないし、映画をどうしても観たいとも思わないし、仕事もこれを研究して解明したいという動機もない。ただ今の仕事・人間関係のストレスや物理的な痛みから解放されたい。毎晩のように起こる頭痛、再発の恐怖に耐えてまで、生きる喜びを享受したいと思わない。結婚も諦めた。強いてゆうなら学生時代、演習林で皆で宿泊して昼は山で演習、夜は酒飲んで、朝は交代でごはん、味噌汁、納豆、卵焼き、魚を作って食べて、早起きしたらキャッチボールしてみたいなのがあったが、ああいう原始的な生活を送りたいなと思う。まあでもそれを生業としなきゃいけないので、なかなか難しいけど。

 

 

 

術後387日後

今日はまたまた朝から病院に行ってきました。

昨晩も安定の頭痛がしたのと、右手に麻痺が起こるのがどうしても嫌なので、覚醒下手術をお願いできないか相談に行こうと思ったからです。

セカンドオピニオンをお願いした大学病院の先生は前回受診時にもう少し早く手術ができると言っていたような気がしたので、そっちにお願いするかもしれないと主治医に話したところ、快く「大学病院がいいと言うならそれでいいよ」とのことでした。

すぐに大学病院に確認したところ、手術までは2ヶ月くらいかかると言われました。。おそらく自分の記憶違いでした。

主治医にそのことを話すと、手術日を10/13に早めてもらいました。午前中は別の手術があるそうで午後から行うそうです。

覚醒下手術はチームでやるものだからこの病院ではやったことがない、できないとのことでした。

頭が痛くて仕事にならない状態が続いていたので、とりあえず手術日が早まってよかったですが、先生には大変な御負担をかけることになってしまうなと思いました。感謝しかありません。

 

自分が決めたことですが、学会はキャンセルしないといけません。

なんだかんだ入院まであと10日もないので、職場で上司に説明して、病気休暇の手続きをしてもらって、と慌ただしいスケジュールになりそうです。

頑張ります。

術後383日後

今日は土曜日ですが、主治医の外来があるということで手術の前に確認したいことがいくつかあったので、病院へ。

バスを待っていると目の前の高齢の男性が突然倒れて、眼鏡をかけていたのでおそらくそれが地面との間に挟まって血を流していました。

倒れた高齢の男性は意識はあるらしく、すぐに近くにいた30代くらいの男性が救急車を呼びましょうかと問いかけたところ、しきりに大丈夫と言っていましたが、一応血を流していることもあり、結局救急車を呼ぶことに。意識はあるようだったし、本人も大丈夫と言っていたので自分は他の大勢の方と同様心配そうに眺めるだけしかできませんでしたが、こういうことが立て続けに起こると何か試されているのかなと思ってしまいました。

 

病院に着いて診察を受けました。最近起床時だけ手から肩にかけて痺れが起きるので目に見えない腫瘍が運動野・感覚野に到達しているのではと疑っていましたが、先生曰く、寝ている時には、身体からコップ1杯の水分が汗として排出されるため血液の濃度が高くなりやすく、また就寝中は血圧も低くなるので、血液を押し流す力が弱くなる(血流が悪くなる)そうなので、そういう痺れの症状が出るのかもと仰っていました。

また、術後の麻痺についても聞いたところ、勿論麻痺が残らないようにはするけれど、理論的には運動野の中でも手の領域が近いので、思ったより自由に動かないみたいなことが起こりうるかもしれないとのことでした。先生でも実際に取ってみないとわからないそうです。覚醒下手術のことも聞きましたが、やはり途中でパニックになる人もいるようで、その場合は脳を開いたまま手術を続けないといけないらしく、リスクが大きいのではと言われました。それなら全身麻酔で終わった後手が動きにくければリハビリを頑張る方がいいのではとのことでした。

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左上から右上、左下と今年の4月、6月、9月の造影MRIの画像ですが、白い部分が少しだけ大きくなっているように見えます。この部分を取り除くようです。

今度以前6月に行ったリハビリ病院の先生に、もし万が一手に麻痺が出たらどのくらいで回復するか聞いてみようかな。多分わからないって言われそうですけど、出来ることは全部しておきたいので。「脳腫瘍細胞をなるべく切除し、かつ麻痺が起こらないようにする」ことは主治医の先生を信じることしかできません。自分には変えられない。ただ万が一麻痺が残った場合、どの程度リハビリすればどの程度まで回復可能かを事前に情報として持てるならば、将来の再発の可能性を少なくして、苦しみを軽減できることにつながるかもしれません。

「すべては導かれている」田坂広志さんの「運気を磨く」や「死は存在しない」によく登場する言葉です。

神社でお願い事とかをする時「試験に合格しますように」とか「恋人ができますように」とか「病気が治りますように」と大体の人はすると思うのですが、この本では「私をどうか導いてください」とお願いすることを勧めています。

理由はたとえば「恋人ができますように」とお願いしたとすると、心の中で「もし恋人ができなかったらどうしよう」という不安に誰しもが襲われるということが書かれてありました。

「私をどうか導いてください」だったら彼女ができても嬉しいし、できなくてもいまはまだそういう時期じゃないんだと思えるそうです。

 

今日は家で過ごして、明日は少し涼しいみたいなのでどこか日帰り旅でもしようかな。昔から秋の数週間が好きだったなあ。秋が来ると、大学時代に学内にあったファミマの前で、ジージャンとカーゴパンツを着て歩いていた時の感覚をなぜか思い出します。

術後380日後 再発

今日はこれから大学病院受診日。

10日くらい前から足に力が入りにくく、1週間くらい前からは起床時に手足が痺れて、それが日に日に強くなっているような感じです。起床時以外は治るんですけど、少しだけいつもより力が入らない感覚です。

 

MRI画像上も再発ではないか、場所が運動野に近いのでなるべく早く大学病院に行ってほしいと主治医に言われました。

治療の選択肢はおそらく覚醒下手術か化学療法。自分なりに色々情報を集めました。

覚醒下手術は手術の途中で患者を起こして、言語野や運動野に障害が起きないよう、実際に話したり、手足が動くか確認しながら手術をするそうです。患者の準備も体力も必要。

化学療法はテモゾロミドというのが神経膠腫でよく使われるそうですが、初めは42日間連続で投与、その後1ヶ月くらい休薬し、以後投与5日連続、23日休薬というのを1クールとして3〜6クール行うそうです。ブログを書いている方の中で24クールしたという方もいました。

化学療法は髪が抜けたり、吐き気がするなど、長く苦しまなきゃいけないイメージですが、覚醒下手術だと術後何日かは入院が必要でしょうが、覚醒してる時だけ頑張ればよいので、その方が楽かなと今は思っています。まだ実際に詳しい話を聞いてみなければわかりませんが。

ただ神経膠腫の場合、覚醒下手術で腫瘍を完全に取り切れたと思っても、周囲の正常脳へ浸み込む性格(浸潤能)があり、正常神経細胞と共存していることもよくあるらしいです。なので、結局また再発して化学療法をすることになるかもしれません。

また今回もし覚醒下手術をすることになった場合、病理検査に出して悪性化する可能性もありますので、そうなったら結局化学療法、放射線治療をやらなければならないかもしれません。f:id:shengye_ji:20230927082637j:image

(京都大学医学部付属病院HPから引用)

 

神経膠腫(グリオーマ)というのは非常に厄介です。

 

とかいうことをあれこれ考えてながら電車に乗っていると、バスに乗り換える駅につきました。すると突然1車両向こうで人が倒れたような物音がして、辺りを人が囲いました。

スポーツマンらしき短髪の若い男性が駅員さんに「急病人!急病人!急病人!」と大きな声で叫んで、間も無く駅員さんが到着し、電車はしばらく停止しました。

自分もてんかん持ちなので同じような病気かもしれない、ヘルプマークをつけてるかも、何か役に立てるかもしれないと、1車両向こうに行こうかと思いましたが、その人の周りを十分な人が囲んでいて病院に行くバスの時間も気になったので、今回は他の方に任せました。

自分は最後に発作が起きたのが去年の10月で、それから発作が一回も起きていないのでしばらくつけていたヘルプマークを外しましたが、周囲の人に迷惑をかける可能性があるならつけようかなあと思いました。

 

↑診察前

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↓診察後

 

今回大学病院の先生に診てもらうにあたり、5年前に撮ったMRI画像を持っていきました。というのも以前その先生とお話しした時にpilomixiod astrocytomaは腫瘍の増殖速度もゆっくりで(1年間に○mm)、そこまで悪いものではないという風に仰っていたからです。pilomixiodを楽観視しているのではとの懸念がありました。5年前の画像では小さい腫瘍らしきものは写っていますが、手術をすることになる4年半後には3.3cmの大きさにまで達していました。その画像を先生に見せるとpilocyticは切除すれば大丈夫だけど、pilomixiod はたしかに注意が必要かもという風におっしゃいました。

先生からはそれを踏まえて、今回手術した方がいいと言われました。おそらく手術時間は3時間くらいになるだろうと。入院期間も前回ほどは長くなく、運動野に接しているが、覚醒下手術は必要なく腫瘍をとりきれるのではとのことでした。

手術後の治療についても考えてくださって、化学療法や放射線療法は必要ないのではとのこと。もし手術後に再発した場合は、化学療法を考えてもいいかもしれないということでした。

この腫瘍では死ぬことはないし、うまく付き合っていくしかないとも言われました。自分の腫瘍はBRAF遺伝子というものが変異を起こして発生したようです。なぜ変異を起こしているのかはわからないとのこと。ただ自分は元々ネガティブな性格だったという自覚があり、そのあたりの考え方で遺伝子変異が引き起こされているという仮説を証明できたとしたら、それは面白い研究だなと一応研究者(と名乗っていいのかわかりませんが)のはしくれとしては思いました。田坂広志さんの本を読んでるとゼロポイントフィールド仮説とかが出てくるので興味のある方は面白いかもしれません。

 

少し話が逸れましたが、その後職場に手術をすることになったことと午後も休むことを連絡して、主治医の先生のいる病院に向かいました。

主治医も前回ほど難しい手術にはならないだろう、今がチャンスと言っていました。ただ数ミリで腫瘍をとることになるので麻痺が残る可能性はどうしてもあるとのことでした。あとはリハビリをするしかないと。麻痺が残るくらいなら腫瘍が少しくらい残ってもいいとも思いましたが。そもそも大学病院の先生は「覚醒下手術までは必要なく腫瘍をとりきれる」ということを言っていただけで、「麻痺が残ってでも腫瘍を取り切る」こととは大きな違いがあります。先生同士の手紙のやりとりだとどうしてもそこらへんの微妙なニュアンスが伝わりづらいので、今度病院に行く時に再度そこは自分の希望と大学病院の先生の言っていたことを性格に伝えたいと思います。

手術日は10/26か11/2になりました。10/26は主治医が脳外学会に行くかもしれないらしくまた決まったら連絡してくれるそうです。入院期間は2〜3週間。

ふー。。手術かあ。。

手術は2回目なのとまだ1ヶ月先だからか今はそんなに怖くなくて、また頭痛と起床時の手足の痺れで眠れない日々を1ヶ月間過ごすことの方がしんどいなという感じです。

 

明日職場で説明しなきゃですが、大学病院の先生に診療情報提供書のコピーももらったし、手術日までのスケジュールもおおよそ決まったので説明はできるかなと。職場にも迷惑かけるなあ。申し訳ないですが仕方ないですもんね。なりたくてなったわけじゃないんですから。まずは自分の健康第一です。

 

朝電車の中で倒れた方は無事だったかな。無事であることを祈ります。

術後373日後

今日はMRI検査の日。

本当は10月に入ってからの予定だったけど、症状が出たので早めてしまいました。

症状というのは、毎日のように続く頭痛と右足に力が入りにくいことです。

特に毎日のように続く頭痛は、整体に行ってもその日には頭痛で眠れないほどなので、睡眠薬や脳圧を下げる薬を飲んで何とか凌いでいます。

枕が合わないせいなのかなとも思い、最近街に行くついでに試してみたりしていますが、5年くらい前にオーダーメイド品を買った店で調整してくれるそうなので、病院の後に行く予定です。

毎回病院に行く時は、本気で「これは絶対再発だ」と思って職場の上司に症状が出ていることを説明し休みを申請して行くのですが、今まではかろうじてセーフでした。

ただセーフだった時は「よかった」と思う反面、職場にはちょっぴり罪悪感というか、そういった複雑な感情があります。

MRI検査前

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MRI検査後

前回8月に撮った時よりも白く造影された部分(腫瘍が疑われる)が少しだけ大きくなっていました。

今回撮影

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6月撮影(8月は自分のカメラで撮っていない)

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なので、6月の時と同様また来週大学病院に行くよう言われました。

はあ。。。

なるべく副作用が少ない化学療法ということで休眠療法というのがあるみたいです。

脳腫瘍でも休眠療法はありますか、と主治医に聞いたところ、それは聞いたことがないとのことでした。

化学療法をすることになったら1ヶ月ほど仕事を休まなければいけません。

10月に行われる学会も申し込みましたが、出れないのかな。去年も申し込んだのに。。3年目にしていまだに研究実績がほぼゼロなので、研究クビになるかもです。

化学療法したくないなあ。髪も抜けるし。

先日小学生の時付き合って別れた女性と20年ぶりにランチしてきました。

思い出話に花が咲いて、その後LINEも交換しました。その人が静岡に住んでるらしく、ちょうど静岡で10月に出張があるかもしれなかったのでそれに合わせてご飯でも、と計画していましたがそれもパーに。。やってらんねーぜ。笑

病院に行った後、枕を調整しに行ったらやっぱり低すぎたようでした。調整してもらったらだいぶ楽になりました。

ちなみにこのお店は5年前にオーダーメイド枕を2万5千円くらいで買いましたが、購入後10年間は調整無料だそうです。もっと早く行っとけばよかった。。

それと、頭痛の原因をわかりやすく解説した動画があったので貼っておきます。https://youtu.be/hqx8FFzz5zw

この動画によると脳には痛みを感じる神経が存在しないらしいです。脳を包んでいる膜を髄膜といい、内側から軟膜、くも膜、硬膜といいます。硬膜は脳を包んでいる内側と頭蓋骨の表面(裏側)の頭蓋骨の内側を裏打ちしている部分との二重になっています。

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硬膜には痛みを感じる感覚神経が多く存在します。そのため頭痛は硬膜の痛みを感じる神経が反応し、その情報を脳が認識し、頭が痛くなるという仕組みらしいです。

頭痛は、硬膜の血管の血液の循環が悪くなることで反応します。なぜ血液の循環が悪くなるかというと、頭蓋骨の内側にある硬膜が緊張して硬くなるからです。

硬膜の構造をさらに詳しく説明すると右の脳と左の脳を区切っている大脳鎌という部分があります。

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さらに脳を上下に区切っている小脳テントという部分と小脳を左右に区切っている小脳鎌という部分があり、この小脳鎌が頭痛のメカニズムを理解する上で重要だそうです。

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この小脳鎌は、脳が揺れないようにする役割があり、小脳鎌が緊張することで、全部の硬膜が緊張します。緊張すると引っ張られます。首や肩の筋肉にも影響を与え、首の血流が悪くなり、頭に行く血液量が減ります。硬膜の血液の循環も悪くなります。硬膜が緊張し、血流がさらに悪くなり、悪循環が起こります。

硬膜が固くなると、脳脊髄液の循環にも影響を与え、自律神経の乱れ、自律神経失調症、うつ、パニック障害、不安症にも発展します。

 

※以下グロいので苦手な方は閲覧注意

病院で検査をした後、近所の脳外科にも行き、MRI画像を取り込んでもらったついでにいくつか質問をしました。これらは自分の手術時の動画をスクショしたものです。これは頭蓋骨。頭蓋骨を外して穴を開けます。

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これが頭痛に深く関わっている硬膜

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これはその内側の軟膜
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これが大脳(脳実質)
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そして切り取った腫瘍
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縫合し元に戻します

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今回は頭痛に深く関わっている小脳鎌の部分がどこかは聞けませんでしたが(たぶん自分の動画には写ってない?)何かしら参考になればと思います。

術後367日後

手術から1年以上が経過した。

1年前、9/7に、手術をした病院で悪性脳腫瘍の疑いがあると言われた時、咄嗟に「手術をしなければどうなるんですか」と聞いたところ「自殺と一緒だよ」と言われた。さらに手術後も抗がん剤治療と放射線治療で6週間の入院が必要だろうと言われた。

開頭手術が単純に怖いというのもあり「手術をするかどうか明日までに連絡します」ととりあえず伝えて、タクシーに乗って家まで帰った。タクシーの中で何も知らない運転手が、まさかこんなに若いのに悪性脳腫瘍の宣告を受けた人が乗客だとは思わなかったのか、他愛もない話を何度も振ってきたが、何も話す気になれなかったので、最後まで無言で過ごした。

家に帰りドアを開けるとすぐに、前月に購入し組み立てていた健康ぶら下がり器に首吊りロープをかけて首を吊ろうとした。はっきりと覚えていないが3〜4度試したと思う。「完全自殺マニュアル」には首吊り自殺をした場合の時間経過とともに起きる症状が具体的に書かれてあった。あまり時間が経たずに誰かに発見されたり、中途半端に終わると後遺症が残ったりするとそこには書いてあったこともあり、またロープに首をかけて足を浮かせようとした瞬間に、自分を育ててくれた両親や祖母などお世話になった人の顔が浮かんで、思いきれなかった。

1時間くらいそんなことをしていただろうか。疲れてしまい、母親と職場に連絡して、手術を受けることになったと伝えた。

入院前に母親には家の鍵を渡したので、YouTubeで見て作った首吊りロープと完全自殺マニュアルは怪しまれないよう事前に捨てた。健康ぶら下がり器は筋トレ用だと会話の中でさらっと言っておいた。

それから2ヶ月後に退院してまもなく、健康ぶら下がり器は粗大ゴミに出して捨てた。

 

あの日からはや1年。

あのとき死ななくてよかったと心から思う。

いまでもしょっちゅう仕事で憂鬱な日はあるし、毎晩のように頭痛がして再発したんじゃないかと思う夜もあるし、術前に比べれば機能もQOLも確かに低下したと感じるけれど、生きていていいと思えることも全然ある。

 

仕事で周りの助けを得ながら働けていること

仕事でプレゼン発表して上司によかったと言われたこと

大学の友達と旅行に行けたこと

中学時代の野球部の結婚式に行けたこと

時々仲の良い友人と電話で話すこと

映画、ドラマ、アニメをこの1年で60作観れたこと

本をこの1年で30冊読めたこと

本当に好きだと思えた女性に数年ぶりに出会えたこと

今日これから祖母と大学の友人に会いに金沢に行けること

 

もうすぐ新幹線が大阪に着く。大阪でサンダーバードに乗り換えだ。朝家を出た時は土砂降りで靴も濡れて最悪と思ったけれど、大阪は曇りのようだ。新幹線の中で靴もだいぶ乾いた。

人生山あり谷あり。人生楽あれば苦あり。

「人間が生きる目的とは、生まれた時の魂、人間性よりも、死ぬ時に少しでも高くするよう修行を積むこと。苦しいことは魂を高めるチャンスだと思ってそれを乗り越えること」

去年亡くなった稲盛和夫さんの生き方の中に書いてあったこと。入院中まだ話せなかった時に音読してて、最近また読み直した。

 

「ピンチはチャンス」

本当にそうだなあと最近つくづくと感じる。