脳腫瘍(神経膠腫)手術後の高次脳機能障害の日々

31歳11ヶ月で左前頭葉神経膠腫の手術を経験。その後の日常を気まぐれで更新。以下URLは病気関係の本棚です。https://booklog.jp/users/cloverbk/all?category_id=3559096&status=all

安楽死に関する情報を集めて考えてみた

脳腫瘍で手術する度に機能低下して、しかも毎晩のように頭痛が起きると「もう苦しみから解放されたい」「なるべく楽に死にたい」「職場や家族に迷惑をかけずに消えたい」という発想が意図せず時々は出てきてしまい「安楽死」というワードがつい気になってしまいます。自分のような独身で子どももいない人だとそう思う気持ちもわかってもらえるのではないでしょうか。

そこで「安楽死」に関する情報を集めて自分なりに考えてみました。

 

まずは1ヶ月ほど前にフジテレビで安楽死に関する番組をやっていたのでそれを観た。

その番組によると、唯一外国人の安楽死を受け入れているスイスの団体での安楽死申請のために必要な書類は
①死を希望する理由書
②自身と家族の略歴書
③医師の診断書

で、全て英語で書かなければいけない。
日本だと③が自殺幇助に当たり犯罪に問われる可能性があるため、日本の医師に書いてもらうのはなかなか厳しいようだ。テレビに出演された安楽死を希望する40歳くらいの男性(全身に激しい痛みが生じる難病の方)はオンラインで海外の医師に交渉して書いてもらい、団体から承認を得たものの、やはり病と闘う決意をし、安楽死はしなかった。約2年間取材を受けていたパーキンソン病の60歳くらいの女性は、途中で連絡が途絶え、後の関係者への取材でスイスのライフサークルという団体で安楽死を遂げたことが分かった。

続いて、先日宮下洋一さんの「安楽死を遂げた日本人」を読んだ。本を読んだ感想を最初に述べておくと、冒頭から読んでいてすごく読みやすい。「宮下洋一さんの文章のファンです」というのをamazonか何かのレビューで見かけたがわかる気がする。章構成もよかったと思う。

その本によるとスイスで安楽死を受けるには以下の4条件が必要とのこと。

①耐え難い苦痛がある

②回復の見込みがない

③代替治療がない

④本人の明確な意思がある

多系統萎縮症という難病(ドラマ:1リットルの涙と同じ病気)を告げられた51歳の小島ミナさんは、近い将来自分であらゆること(排泄、入浴、会話など)ができなくなる前に安楽死をしたいという動機で、色々紆余曲折はあったが、2018年11月にスイスのライフサークルで日本人初めての安楽死を遂げた。同じくスイスのディグニタスという団体も外国人安楽死希望者を受け入れており、2019年時点で少なくとも3人の日本居住者が死亡したという統計資料がある。(ディグニタスは外部にほとんど情報を公開していないためその実態はよくわかっていない)ちなみにライフサークルは点滴のストッパーを開けること、ディグニタスは薬物を飲み込むことで死を遂げる。ライフサークルは昨年秋に新規会員募集を停止した。

2017年頃、脚本家・橋田寿賀子さんの安楽死に関する発言が話題となったのを覚えているだろうか。筆者の宮下洋一さんの橋田さんの考えに対する感想は「自らの死への動機が人への迷惑であるというのがなんとも日本的な思考で、欧米はあくまで個人の権利としてそれを捉える」という民族的な観点からの考察であった。

同じく小島ミナさんの橋田さんの考えに対する感想は「自らが望む限り、その結果、生じる痛みや責任は本人が負うべき。迷惑かどうかは介護当事者自身が判断すること 。介護を受ける立場としては、下の世話を受けながら、はたして自分はそれでも生きたいという願望を持っているのか、自分の気持ちの確認が必要」であった。

また自らの病気に関して「この病気はアンハッピーな期間が長すぎる。苦しくても命があればいいのか」といった苦悶を綴っている。

また、イギリスは緩和ケア先進国であり、スイス、オランダ、ベルギーなど安楽死が認められている国のことを緩和ケア後進国と見做している。緩和ケアのセデーションとは、治療に対する体の抵抗によって生じる苦痛を緩和する目的で、鎮静剤などを投与することである。たとえば、末期癌患者に薬を投与し、意識レベルを下げることで苦痛から解放させるとともに、死までの自然な過程を見守る医療措置が挙げられる。日本での緩和ケアガイドラインは以下を参照されるとよい。https://www.jspm.ne.jp/files/guideline/sedation_2005/sedation01.pdf

小島ミナさんは、自分が末期癌だったらセデーションを選んだかもしれないと死の直前に話していた。

末期の大腸がんを告げられ安楽死を希望した40代半ばの男性は、ディグニタスへの登録を済ませ準備を進めていたものの、病状が悪化し安楽死を遂げられずにこの世を去った。生前「あくまでイメージですが、緩和ケアで100%痛みがないとは限らない。なるべく痛みがない形でQOLを保ちたい」と話していた彼は、ディグニタスの入会承認がおりた時「自分の最期について病院以外の選択肢が見えたことでそこまでは頑張ろうという気持ちが持てた」と語っている。筆者は彼から「自分の最期を決めるのは自分だ」という気持ちを感じ取れたという。安楽死を希望する日本人は、緩和ケアとは痛みをごまかしつつ病と闘うものというイメージを抱いていて、安楽死については、安らかに眠れるものと認識している、と筆者は述べている。実際この本を読む前の自分もそう思っていた。

筆者曰く、それまで2年間の安楽死取材を通して、安楽死の最期には家族の関係性が大きな影響を及ぼすと確信をもったようだ。これはつまり、家族仲が悪いゆえ孤独感を味わう人々が安楽死願望を抱く傾向が強いということだ。実際この男性も家庭環境が順風満帆とは言えず、妻とは離婚歴があり、現在父と暮らし、その他に結婚して家を出た妹がいる。妹とは関係良好だが、父とはスムーズなコミュニケーションがとれる状態ではないという。

後に関係者への取材を通して分かったことだが、死の直前、彼は父と妹に心を許していたようだ。このことから筆者は、肉体的な苦しみを味わわずとも精神的な痛みを抱えたまま死にゆくことは理想の逝き方と言えるだろうか。肉体的には苦しくとも精神的な喜びを持って自然な眠りに就くことが理想の逝き方ではないだろうかという問いを読者に投げかけている。

ここで自分なりの考えを述べてみる。

筆者の「家族仲が悪いゆえ孤独感を味わう人々が安楽死願望を抱く傾向が強い」という仮説に関して、自分も両親が離婚し、父母とのそれぞれの関係は一応良好だし、妹弟関係も仲が悪くはないが、自分の性格的に一定の距離を保った付き合い方しかできないため、共感できるところもなくはない。でもほとんどの家庭が大体そんなものなのではないだろうか。

2か月前90歳を迎えた父方の祖母が以前「同年代の友人というのは時に家族以上に大切な時がある」と言っていた。祖母は約10年前に夫をなくし、家は北陸地方で父とも自分とも離れて暮らしているのだが、短歌が趣味でその短歌を通じて仲良くなった友人と長年仲良くしている。

実際、自分のことを振り返ると1番幸せな時間が多かった大学時代も、社会人になって以降コロナ前までも、友人が多かったからかそんなに孤独感を感じることもなかった気がする。27歳の頃までは付き合っていた彼女もいたし、それ以降年々減ってはいたけれど、年に何回か合コンや旅行も行ったし、それなりに楽しい思い出もあった。コロナで物理的に人と会えなくなり、資格勉強に打ち込んだはいいが2年続けて惜しくも落ちて、資格試験合格後の実務補修や飲み会で同じ合格者と仲良くなろうという算段も崩れ去り、気を取り直して研究を頑張ろうとしていた矢先に脳腫瘍になり、言語野がやられ、人と以前のようには思うように話せなくなり、結婚して子育てに忙しくなる友人が増えるとともに、益々自分の孤独感も増していったように感じた。

話が脱線しかけたが、要は「家族仲が悪いゆえ孤独感を味わう人々が安楽死願望を抱く傾向が強い」という説は、必要条件であって十分条件ではないということだ。(逆かも)「安楽死願望を抱く傾向がある人は、家族仲が悪い人が多い」は常には成り立たない。(と思う)

筆者の「肉体的には苦しくとも精神的な喜びを持って自然な眠りに就くことが理想の逝き方ではないだろうか」という主張に関しては、正直難しいところではあるなあと思った。

 

以上何となく安楽死というキーワードが気になって色々と情報を集めて、自分なりに考えてみたが、結論は、まだ安楽死が認めてもらえる条件には自分は達していないようだった。

でもこれから末期がんになる可能性もあるし、痛みが耐えられない難病になる可能性もあるので、なるべく考えたくはないがもし自分が条件に当てはまったら選択肢の一つとして考慮に入れておきたいなと思った。緩和ケアが進んでいるイギリスでも安楽死に賛成の国民は3/4くらいいるらしい。これから10年、20年単位で日本で安楽死が認められる可能性は全然あると思うし、それを必要とする人もいると思う。何より小島ミナさんと一緒にスイスに渡った姉は、小島さんが思ったよりも苦しんでいなくて、安楽死に悪い印象をもっていなかった。

この歳で自分の最期について考える経験を持てたことはこれからの人生を歩む上でとても良い経験になった。

あとこちらのブログもこの本についてまとめたもので、こちらの方が分かりやすかった。

https://minimalism.jp/archives/4128/amp