脳腫瘍(神経膠腫)手術後の高次脳機能障害の日々

31歳11ヶ月で左前頭葉神経膠腫の手術を経験。その後の日常を気まぐれで更新。以下URLは病気関係の本棚です。https://booklog.jp/users/cloverbk/all?category_id=3559096&status=all

術後100日後

どうもご無沙汰しております。

あれから予定通り10月末に退院しました。

 

病気休暇を11月末までもらっていたので11月は丸々一か月休みでした。

その間は久しぶりの友人に電話をかけたり、この際だから他の病院(歯医者とか)に行ったり、近場にいる友達が退院祝いをしてくれて温泉やご飯に行ったり、マッチングアプリで女性とお茶したり、週1,2回外来リハビリに行ったりして過ごしていました。1日1回は人と話すことを意識して過ごしました。入院中はほとんどの時間をベッドの上で過ごしたため、時間が経つのが長く感じましたが、退院後は早く感じました。

 

おかげさまで手術直後に比べるとだいぶ話せるようになったなと自分でも自覚しています。忙しい中電話してくれた方々には、本当に感謝したいです。

学生時代の友人は、結婚して子供もできた人が多いのでしばらく疎遠になっていましたが、今回久しぶりに連絡できてよかったです。

 

12月からは職場に復帰しました。

手術前に比べるとなんとなく記憶力や意欲が低下したなあと感じています。

あと疲れやすくなりました。

それといつまでにこれをやるという目標を決めてそこから逆算して日々のタスクを遂行するということを以前は自然とできていましたが、それができにくくなりました。

気持ちの問題もあるのかもしれません。以前はせっかく異動できた研究に残るために論文を書こう、学会で発表しようとかいうのがモチベーションになっていましたが、別に残らなくてもいいやとなっています。多分ほかの職場での嫌な記憶が今回の手術によってより薄れているのだろうと思います。

 

入院していた10月末にてんかんを起こしてしまったので市役所でヘルプマークをもらいました。2年間は運転ができません。

ネットで調べた実績のある社労士さんに電話で聞いたところ、自分の症状は高次脳機能障害はあるのだろうけど比較的軽度で、自分で電話できているし、障害年金の等級は3級すら厳しいかもしれないと言われました。ちなみに3級に認定されると支給額は年間60万円ほどらしいです。

 

退院してからマッチングアプリで5人くらいの女性と会いましたが、お茶の時間は最長で1時間くらいです。

単純に疲れるというのもありますが、手術前に比べると話題が広がりにくいし深くなりにくいなあと感じています。手術前は気になる女性だと3ー4時間話すことだってありました。それがたったの1時間。。

おそらく昔行った旅行や、観たアニメなど細かい記憶が思い出しにくくなっているのだと思います。大抵細かい話で盛り上がるじゃないですか。そこが大事なのにっていう。。

 

はじめのころは病気のことは正直に伝えていましたが、それだと終わった後にメッセージを送っても返ってこないことが多いので徐々に伝えるのをやめていきました。

 

自分は元々たまーにネガティブになる性格でした。

もう30過ぎて独身だしなんとなく死にたいとおもってしまう夜もありました。

自分は何人かの人を好きになって、そのうち何人かの方とお付き合いさせてもらったけれど、結局誰とも幸せになれなかったなあとか感傷的になったりもしました。

25~27歳がピークだったなとは思いました。あの頃に結婚しておけばよかった。。

コロナになる少し前くらいから合コンとかもなくなって、職業柄感染してしまうとまずいので旅行にも行けませんでした。

だから最後に北海道に行ってなんとなくそこで人生を終わらせようと思ってました。具体的な手段はあまり考えられてなかったですが、なんとなくそこに向かって半年前くらいから思ってました。

 

両親の離婚で母の老後資金が足りなかったことをきっかけに株式投資を勉強して人一倍時間を割いたのに、アズーム、野村マイクロ、アルベルト...どれもその後10倍株になった銘柄を取り切れませんでした。

コロナショックで塩漬けになって最後に挽回してやろうと思い、何度だってやり直せる、諦めるな的なももクロの歌に感化されて、一念発起して中小企業診断士の資格をとろうと思いましたが、あと一点足りませんでした。

マッチングアプリでいいねをたくさんもらい、若くて綺麗な女性ともお茶できたのに、そういう自分が良いと思った女性に限って次のデートは行けませんでした…

自分は両親が離婚しているから他の人より不利なのかなあとかあまり関係のない自分では変えられないことのせいにもしました。

 

そんな風にものごとをネガティブにとらえる癖が自分には染みついていました。昔、井川遥さん主演の樹の海という映画を見たことがあります。その中で、災厄は見えないところを飛び交っており、たとえばその人がネガティブで死にたいとかそう強く思えば思うほどそれに当たってしまうというような、はっきりとは覚えていないですがそんな描写がありました。

本当は北海道でレンタカーを運転しているはずの日にてんかんで倒れたので、後から振り返って映画のそのシーンを思い出さずにはいられませんでした。

 

今回病気になって気持ち的にはすごく前向きになりました。入院中にYouTubeを見ると、若くして病気になってもう助からないのに最後まで必死に生きようとしている人たちが何人もいることを知りました。

そんな風に、どんな状況であっても、どんな逆境であっても、諦めずに自分にでき得る限りのことをやる姿勢。その姿勢そのものこそが生きる意味なのではないかと外来リハビリの先生に教えてもらいました。

自分にはきっとまだやり残したことがあるのだと思います。同時に生きているだけで感謝しないといけないなと思っています。

あと最近は笑うことががんにも良いらしいので千鳥のお笑い番組とか見て笑っています。

 

だいぶ長い文章を書けるようになりました。